2日から今日の3時まで友人の卒業設計のヘルプで、八王子のとある大学に行っていました。2年前までその近くの大学に通っていた自分にとっては、なんだか懐かしく思えました。友人のテーマは、消えていく集落に対しての建築的な模索のようなもので、テーマ自体は非常にリディカルで方法案としても様々な可能性を有している問題だと思った。その無数の可能性、方向性がある中、彼は、消えていく集落に対して、何かプログラムをくんで、集落を復活させるようなものではなく、消えていく儚さみたいなものを受け入れるというもの。そういった考えのもと選んできた計画地は、茨城県のとある場で昔は炭坑のまちとして栄えていたらしい。2日にプランや全体的な考えをみせてもらい、自分なりにそのプランに対しての意見を言ったところ、友人も今までのプランに疑問をもっていたのか、建築的なアプローチを変更する結果となった。友人の根本的なものとして、消えていく儚さ、それそのものが美しいという、廃墟化されたものから何かを感じとってもらいたいらしい。暗いというか、マニアックというか、よく言えば非常にシュールで彼らしい。そんなことでアーカイブをこの集落に置くことに決定。建築を考える上での方法として、あくまでこの集落のアーカイブなので、そこの地勢、軸線、モジュールなどから要素を抽出し、そこから導きだされたいくつかのモデルを図式化し、彼が当初から計画していた敷地において再構築した。集落との境界面、設置面においては、炭坑住宅の形態を抽象的にオブジェ化したもの、その下にアーカイブを設定し、上記の図式化したモデルで組み立ててある。地上とその下(あくまで地形を使用しているので地下とは扱わない)で共通の外形線が共有しつつも、そのロジックは切り離され、対比化され、同時に自立していて、ものすごくシュールでかつ知性を感じる作品だった。僕の率直な感想としては、彼の考えてきたこととその建築の姿とがうまくまとまったと思う。しかも深く考えると、消えていく集落に対しての解答として、ある種の説得力や可能性を感じた。その辺の流行の考え方や一般論とは極めて対照的であるが、長期的な視点で捉えた場合、こういった建築は静かにであるが、存続していくのだろう。来年に向けてまた良い勉強になった。写真は今朝、プレゼン用につくったもので、友人の思考がダイレクトに投影したものです。